多くの方が憧れるのが、ミニベロでの旅。今回から3回に分けて、旅の写真家 うえやまあつし氏より寄稿いただいたスリランカでの45日間の旅の様子をお届けいたします。
* * *
はじめまして。旅の写真家、うえやまあつし(上山敦司)と申します。50歳から写真活動を始めて、今年で3年目になります。50歳のスタートの年はヨーロッパに広がるキリスト教の巡礼道サンティアゴ・デ・コンポステーラ1,700kmを歩いて旅をしました。51歳の昨年夏は、ベトナム縦断。南部のホーチミンでママチャリを購入し北部のハノイまでの2,000kmを走りました。そして今年、7月中旬~9/6までスリランカをミニベロで旅をしてきました。
自転車に強いこだわりがあるわけではありませんが、ミニベロの自由さや身軽さが大好きで、前職では仕事も兼ねながら、電車や車に積んではいろんな街を巡ってきました。さっと折りたたんで電車へ。目的地のパーキングでさっと組み立ててまるでその土地の人であるかのように走り回る。その街に溶け込めるミニベロはぼくの価値観にぴったりでした。そんなミニベロでスリランカを旅したらきっと楽しい旅になるだろうなぁ。
小さな島でありながら、綺麗なビーチもあれば2,000mほどの高地が広がる一帯もあります。キツイところは、列車で行けばいい。車窓に広がる景色を堪能しよう。「セレンディピティ」という言葉が生まれたこの島でいく先々でどんな人に出会えるのか。スリランカはブッダが唱えた教義が、原型に近い形で残る数少ない国であり、仏教遺跡の宝庫でもあるそうです。国土の面積では測れないポテンシャルが魅力となって想像のなかで広がっていく。魅惑のスリランカをミニベロと列車で駆け回ってみよう。その中から見えてくるものが、何かあるはず。そんな期待を胸にプランを始めたスリランカの旅。
これから、旅の準備段階から旅の終わりまで3回にわたってお伝えいたします。今回がその第一回目、旅の準備段階からスリランカ到着までの波乱万丈をご紹介します。
荷物は最小限に
旅をするとき荷物は最小限にと心がけている。毎年旅をしているから荷物は決まってきそうなものだが、歩いたり、自転車に乗ったりするものだから毎回微妙に荷物が変わる。
キャンプをしながら自転車で走るというアドベンチャーの旅ではない。自転車で移動しながら写真を撮ることが目的の旅。夜はゲストハウスに泊まるし、食事も自炊ではなく食堂で食べる。テントもシュラフもバーナーも持たない。カメラ機材と衣類、日用品だけ。当初はフロントにカメラバッグ、リヤの両サイドにパニアバッグで考えていた。
走っているときはいいが、自転車を折りたたんで移動する際に、バッグが多いとそれだけかさばってしまう。悩んだあげく、リアのトップにカヌーで使っていた筒型の防水バッグを載せることにした。衣類は、Tシャツやパンツ、靴下などは着用分と洗い替え1枚の計2枚。長ズボン1本、短パン1枚。防寒はレインウエアをウインドブレーカー代わりにする。石鹸は半分にカットしたもの。シャンプー、歯磨き粉は持たない。タオルもなし。薬などはすべて箱から出す。それらを防水バッグに入れてリアに積む。
カメラ機材はよく使う広角、標準、望遠のズームレンズを3本とカメラ1台の構成にした。カメラ本体はいつも1台だ。壊れたり、盗まれたら日本から送ってもらえばいいと割り切っている。余分に持つ余裕はない。カメラ機材の雨対策も重要。雨の日は晴れの日とは違う表情を見せてくれる。カメラは水に弱いからとバッグの奥底に仕舞っておいたら撮影はできない。昨年、ベトナムをママチャリで走ったとき、首からぶら下げるカメラ用の簡易防水バッグを使った。これが結構重宝したので今回もそれを使う。小雨ならそれで十分だ。そのほか、撮影したデータを取り込むためのノートパソコン、バックアップ用の外付けHDD2台とガジェット関連。これらをカメラバッグに収納し自転車のフロントに積む。
工具関係は、パンク修理道具、空気入れ、六角レンチ、結束バンドなど最小限のもの。ロック関係は2mのクリプトナイトにU字ロック。1.2m、60cmのワイヤーロックの計3本。アキボウさんに協賛いただいている「DAHON Mu-D9」にはフロントとリアにキャリアと泥除けを装着してもらっている。
試走をするなかでフロントに積むカメラバッグの座りが悪かったので、輪行のことも考慮して浅い前かごを付けて完了した。この装備でスリランカを走るぞ!と思っていたらただならぬニュースが飛び込んできた。
同時自爆テロが発生
4月21日。スリランカで同時自爆テロ発生!爆破されたのはキリスト教の教会や高級ホテルなど8ヶ所。数日後、ISに傾倒するスリランカ人イスラム過激派組織から犯行声明が出された。狙われたのはキリスト教徒と高級ホテルに泊まる外国人観光客。250人以上の死者を出し、日本人も1人亡くなられた。行くな!中止しろ!という連絡をいくつももらった。大規模なテロが起こったのだから当然の反応だ。しかし、ぼくのなかでは出発3ヶ月前に起こったテロが何か意味のあるものに思えてならなかった。テロが起きる背景には何があるんだろう。それは、正義感からではなく、素朴な疑問だった。
スリランカのイスラム教徒は国内で一体どんな立場なのか。狙われたキリスト教徒はどういう人たちだろうか。それが、宗教的な対立なのか、それとも待遇や所得格差だったり別の要因が絡んでいるのか。自爆した犯人たちは、スリランカでも裕福な家庭に育ち、高学歴だったそうだ。経済的な不自由はなかった彼らがなぜ、自らの命を賭けてまで自国の人を殺さねばならなかったのか。
一介の旅人が、自転車で走ったところで、答えなどわかるはずもない。ただ、その背景となった空気感を自分の肌で感じてみたい。スリランカには、どんな人たちが住んでいて信仰される4つの宗教は、どのように共存しているのか。背景にある宗教的なことを人々が祈る様子を見ながら考えてみたい。そう思うようになった。
「ミニベロと列車で巡った45日 スリランカ祈りの旅」これが今回の旅のテーマとなった。
突然のエアチケットキャンセル
テロの影響により、スリランカを訪れる観光客が激減しているとニュースに出ていた。自分にとっては、観光客が少なければ宿を押さえるのも簡単だし、ラッキーくらいのものだった。ところが、その波はぼくのところにも押し寄せた。旅行代理店からの「欠航のお知らせ」メールだった。欠航理由は書いていなかったがテロの影響でツアーのキャンセルが相次ぎ欠航となったのだろう。日本の航空会社なら、そんなことはないかもしれないが、ぼくが購入していたのは中国東方航空の格安チケット。こういう時に立場が弱い。
すぐに別のチケットを探したが出発1.5ヶ月前になっていたからチケットは高騰。10万円を超えるものばかり。予算に限りがあるなか、苦肉の作で考えたのが、関空~クアラルンプール:JAL(マイル)、クアラルンプール~スリランカ:エアアジア
JALは貯まっていたマイルを使ったがマイルを渋ったために、日本での移動に苦労した。早朝に関空出発のため前日に関空に着き、ロビーで一夜を明かすところから始まった。
羽田から成田はバス移動。羽田着が遅れたこともあり成田出発まで3時間ほど。電車移動では間に合わない。バスも一番早い便は満席。次の便ではアウト。
スリランカの旅がこんなところで終わってしまうのか?応援してもらっている人になんと言えばいいんだろう。一番早いバスに強引にでも乗せてもらうしかなかった。
キャンセル待ちがあるのを知る。祈るような気持ちでバスを迎えるとスタッフさんから「空いてるので乗ってください」と指示された。その声がまるで神の声に聞こえ思わず手をあわせて「ありがとうございます」と頭をさげて乗り込んだ。
成田からクアラルンプールまで飛んで、そこで2泊した。自宅から4日かけて、スリランカのバンダラナイケ空港に深夜到着。
ここに来るまでにいろんなことがあった。それを思うと、これからの旅がきっと面白いものになるにちがいない。そんなワクワクする思いでまた空港で一夜を明かした。
* * *