旅の写真家 うえやまあつし氏より寄稿いただいたスリランカでの45日間の旅は、DAHON Mu D9での2,400kmにわたる走行を無事に終え、残りの2週間は鉄道輪行を織り交ぜた旅に。
*当記事は3回連載のうちの第3回です。以前の記事は以下のリンクからご覧ください。
「ミニベロと列車で巡った45日 スリランカ祈りの旅」第1回 準備〜飛行機輪行編
「ミニベロと列車で巡った45日 スリランカ祈りの旅」第2回 ミニベロ2,400kmの旅編
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寒さに震えたスリーパーダ
スリランカの主要な街を回りながら出発地点のコロンボまで戻ってきた。ここまで走った距離が2,400kmほど。未舗装の道、穴だらけのアスファルト道、雨の日も多く、過酷な道路状況の上に、20kg以上の荷物。小さな車体なのに大きなトラブルもなく、よく走ってくれた。スリランカ出国まで2週間ほど。ここからは、輪行をしながら旅をする。
まずは最北の街、ジャフナに行った。そこから再びコロンボに戻り目指したのは、スリーパーダ。アダムスピークとも言われるこの山は、スリランカの4大宗教の聖地となっている。スリランカ人なら、人生に一度は登るというほど信仰の厚い山だ。最寄りの駅はハットン。キャンディとヌワラエリヤの間、紅茶列車の区間にある駅だ。そこから自転車で40kmほど走りスリーパーダの麓の村を目指す。
天気が安定し、ご来光が望めるシーズンは12~4月と言われる。シーズン中は、山の中腹までお店がずらりと並ぶそうだ。ぼくが登るのは8月24日。シーズンオフのど真ん中。宿の人に聞くと、頂上まで早い人で3時間。平均で4時間くらいとのことだった。ご来光が臨めるとすれば6時。気合を入れて登るつもりで、宿を朝2時にスタートした。4時間以内で登るつもりだ。
宿を出る前から雨が降っていた。あたりはシーズンオフなので真っ暗。村を抜けしばらくいくと明るく照らされた場所に着く。僧侶と管理人がいて、記帳し寄付を置いていく。そこからは、もう真っ暗な階段をひたすら登る。誰にも出会わない。次第に霧が立ち込めてきて、ライトを照らしても5m先が見えないような状況になってきた。幸い階段が続いているから、道を間違えることはない。真っ暗でどこが頂上かもわからない中登り続けたが結果的には2時間で着いてしまった。
まだ4時だ。ご来光までは2時間もある。雨と霧と汗で、着ているものはびっしょり。着替えのシャツを取り出し、その上からダウンを羽織る。そしてレインジャケットを着るがかなり寒い。雨が降り、突風が吹き荒れる。少しずつ到着する人が増えてきて、居場所に困るようなった。30~40人はいたと思うが、90%以上が欧米人。ご来光など臨めるはずもないのに、嵐のなか誰も帰らず明るくなるのを待つ。明るくなって、やっぱりダメか。と確認してから登ったぞ!という証拠写真をパチリ。急ぎ足で下山を始めた。
視界が開けてきた山道を降りていくと、現実世界に戻っていくようだ。スリーパーダに1,399回登った(2019年8月現在)日本山妙法寺の高島上人によれば、シーズンオフの天気は荒れる。晴れることは期待しないほうがいいそうだ。逆に12~4月のシーズン中でも2月は天気が安定しているらしい。そのころだと、朝日に照らされたスリーパーダの山影が麓に落ちるそうだ。とてもきれいだと言っておられた。スリーパーダに登るなら是非シーズン中に。時間があれば麓にある日本山妙法寺にもぜひ寄ってみてほしい。大きな仏舎利塔が目印。面白い話しが聞けるかもしれない。
絶景!紅茶列車の旅
標高500mのキャンディから2,000m近くのヌワラエリヤ付近まで、世界的に有名なセイロンティーの茶畑が広がっている。紅茶列車は正式なネーミングではないが、一般的にキャンディからヌワラエリヤの最寄駅ナヌ・オヤまでの区間をそう呼んでいるようだ。紅茶列車はスリランカの旅で楽しみにしていたひとつ。この列車の輪行が終わればこの旅もほぼ終わる。
山肌に沿って広がる茶畑のそばを列車は走る。標高差がある坂道を列車はゆっくり進むから、車窓からの風景がじっくり楽しめる。スリランカの列車は、乗降口の扉は開けたままが基本。幸運な人はデッキに座りながら、列車の旅ができる。
紅茶列車は先ほども書いたように、キャンディ~ヌワラエリヤ間と言われているが、特にきれいなのは、ハットン~ヌワラエリヤ間じゃないかと思う。このあたりは滝があり、緑もきれい。標高も高くなるため、雄大な景色が楽しめる。
ぼくはこの区間を列車で1.5往復し、自転車でヌワラエリヤからハットンまで片道を走って堪能させてもらった。自転車で走るのもいいが、列車は道路よりもはるか高い場所を走っているから、見晴らしがいい。指定席に乗ったから、チケットを持っていない人は入ってこない。座席が空いていれば、右に左に景色がいい方に移動しながら写真が撮れる。さらに、指定席の車両は前か後ろに連結されていることが多いから、窓からのぞけば、車両がずらっと連なっているのを見ることもできた。
高原地帯は涼しく、夜は着込まないと寒いくらいだった。低地を自転車で走っていたときのことが思い出せないくらい涼しかったが、コロンボまで戻ってくるとまた暑さが戻って来た。200キロもない距離の移動で、これだけの気温差が味わえるのもスリランカならではだと思う。ミニベロとまわったスリランカの旅。スリランカの良さを味わえた45日間だった。
スリランカの鉄道事情
スリランカの鉄道は全土に伸びている。起点となるのはコロンボフォート駅。この駅には地方から来た人、向かう人、バックパックを背負った外国人旅行者でごった返している。
一番安い3等車両は座席エリアもデッキも人で溢れかえる。スペース的に自転車を乗せるのは簡単ではない。自転車を輪行する場合は、指定席を選ぶのがいい。指定席の車両にはチケットを持っている人しか乗ってこないので、自転車をおけるスペースがどこかに見つけられる。
指定車両は1等だけでなく、3等指定車両もたまにある。1等は日本円で1,000円前後といったところだが、それより少し安くなる。指定席は事前購入ができるが、予約窓口にいくと満席といわれることがほとんどだった。当日の朝だめもとでいくと、なぜか空いている。このあたりの仕組みはよくわからない。
ちなみに2等席も自由席。シートが3等より少し良い分価格が高いので、3等の混雑より多少はましかもしれない。ぼくの旅の終わりの輪行は2等自由席だった。自転車は強引に押し込めば、みなさん親切だからどんどん奥へと引き込んでくれた。ただ、乗り降りの際の席取りは難しかった。結果的に6時間たちっぱなしになったがそれもいい経験になった。スリランカで輪行できたことが、これからの旅の幅をきっと広げてくれるだろう。旅の方法は自由だ。これからも楽しい旅を考えていきたい。
テロの後遺症と渡航の安全性
スリランカでの自爆テロから約3ヶ月後、スリランカに到着し45日間にわたって旅をした。街や大規模施設、公共の場所は、小銃を持った軍人や警官が警備をしている。田舎にいっても、道路にはところどころにバリケードがあり検問が行われていた。祭りの会場など、多くの人が集まるところは、厳しいセキュリティチェックをパスしないと中には入れない。そのおかげで危険だと感じるような場面に遭遇することはなかった。
イスラム教徒が多い街にも行き、モスクで礼拝をさせてもらった。ただの旅行者に裏事情はわからないが、どのモスクでも排他的なイメージはなかった。人々の多くは陽気で人懐こく親切だった。一方で被害を受けたキリスト教徒の話しも聞けた。当然多くの人々が殺されたのだから心穏やかではない。だけど、それはそれとして今ははやく観光客を呼び戻したい。そう思っている人が多かった。
テロによって観光客が激減し観光産業は大打撃だそうだ。6月の宿泊客はゼロに近かったと、コロンボでお世話になったゲストハウスのマダムは言っていた。ぼくが滞在していた7~8月は夏休みとあって、ゲストハウスでも街でも外国人は多かったが、これからはどうなっていくのだろうか。
旅の間、現地の人々と関わる機会が多かったが、暴力や盗難は全くなかった。自転車のリアに荷物をくくりつけたままその場を離れたことも何度もあったが、荷物が取られることもなかった。バスにも列車にも乗ったがスリにも合わなかった。逆に、食堂やゲストハウスで置き忘れたものを持ってきてくれたりと、助けてもらうことの方が多かった。気を緩めてはいけないと思うが、ぼくの印象ではスリランカの治安はいいというのが率直な印象だ。
海外を日本の町のように
今回の旅の相棒は20インチの折りたたみ自転車(ミニベロ)。スリランカを旅するにあたってDAHON輸入代理店の(株)アキボウさんに相談したところ、協賛という形でご協力いただけることになった。本当にありがとうございました。
ミニベロの良さは身軽で気軽な旅ができるところ。日本で乗っている延長線上でスリランカの旅をしてみたら面白いだろうなと思った。実際にやってみると、そうでないこともたくさんあった。もともと積む荷物の量が違う。走る距離も路面環境も違う。長距離を走る日が続くと、体力的にしんどくなることもあった。だけど、街に滞在しているときは、日本を走る感覚で身軽に走れた。
列車の輪行も、ミニベロだからできた。飛行機に預けるのは列車より簡単だった。レガシーキャリアなら、追加料金もいらない。梱包の方法を改良すればもっと気軽になるはずだ。今回の旅を終えた今、ミニベロでもっと海外を走ってみたい。そう思う熱はまだまだ冷めない。
最後に、旅で出会った人たちを少しだけ写真でご紹介します。
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